コロナ禍で思ったこと

久しぶりです。ブログ再開です。思うことは毎日あるのだから、ネタはあるわけです。それをブログにしていくことを習慣づけられればいいのですが。

 

時期的に、真面目な話から始めます。

 

コロナウィルスで、世の中、変わりました。世界中が変わりました。ing形で変化中です。ここ数年、地震や台風といった天災の恐怖におののいていましたが、まさか思いもしないウィルス感染という脅威に晒される事態になるとは。

 

子どもの頃に「地震 雷 火事 親父」と聞いてもピンと来ませんでした。子どもの私には、地震も雷も恐いものではありませんでした。自然災害(天災)の恐さを思い知るようになったのは、東日本大震災以降です。自然災害の脅威が徐々に徐々に浸透し、豪雪や猛暑や台風や強風に身構えるようになっていたところに、まさかの新コロナウィルス。現代社会の日本で、ウィルス禍が起こるなんて。ついこの間まで想像だにしなかったことです。 

 

学校の休業、お花見も花火大会も甲子園の中止、2020東京オリンピックの延期…

 

世界中、地球規模です。誰もが無関係ではない。対岸の火事ではない。完全な逃げ場はない。安全圏の住人いない。皮肉にも“宇宙船 地球号”です。

 

今後のことは、誰にもわからない、専門家だってわからないのです(国などによる情報操作はあるでしょうが)。国も自治体も会社も個人も手探りです。

 

坦々と生活する、粛々と毎日を送るしかないと思います。(反社会的でも非社会的でもない)普通の生活、個人の生活、自分の生活を。

 

緊急事態宣言時中のストレスで鬱積した日々、思い出していたのが『アンネの日記』です。ナチス政権下、狭い屋根裏部屋で息をひそめて暮らしたアンネ。同じ屋根裏の隠れ家には家族だけではなく、他人も一緒でした。

また親から聞かされた戦争下での暮らしのことも思い出していました。戦時中、灯りが漏れないように電灯に黒い布をまいて夜を過ごしたと聞いています。

 

規制される生活。自分と自分以外の人の命を守るための規制。

耐えがたい生活です。絶対、戦争の夜の中になってはいけないと、コロナ禍にあって思いました。